委員長のゆううつ。

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  STAGE 2 委員長の旅立ち。  

その6

 考えてもみてほしい。あたし、高木詩帆(たかぎしほ)は正真正銘、十六歳の女子高校生だ。運動部や体育の授業ならまだしも一介の女子高生の日常に『戦う』なんて言葉が出てくるはずもなく。
「先輩はできるんですか」
 返事の代わりに質問返しする。ちなみにあたし自身の体育の成績はごくごく普通。五段階評価なら三、十段階評価なら五といったところ。
「何が?」
「その。戦うってこと」
 サッカーや剣道といった運動部の試合での『たたかう』ではなくて。これまでの話の流れでいくと『海獣(カイジュウ)』って獣と戦う、下手すれば動物に危害を加えることができるかって意味になる。じゃあ獣って何? という話になるけどリズさん曰く霧海(ムカイ)に生息する動物のことなんだそうだ。
 おそるおそる尋ねてみると。
「できるよ。当り前でしょ」
 あっさり肯定された。そういえば学校で初めて会ったときに聞いたような気がする。
 ――人殺しさ――
 本当に陽気な、明日の天気でも告げるような声で言ってた。電車のアラームで聞き取りづらかったけど内容が内容だけに脳裏にしっかりと記憶されていた。
 冗談だとは思う。でも。
「この世界って、そんなに危険な場所なんですか」
 再度おそるおそる尋ねると、これまた先輩ののんきな声がとんだ。
「認識の違い。詩帆ちゃんの世界が平和すぎたんだよ」
「そんなこと」
「ないって言えるの? 道を歩いているだけで襲われることは? 命の危機にさらされたことは?」
「……ないです」
 反論できなかった。生まれてこのかた十六年と少し。幸い、そんな犯罪ざたになったことはない。戦争ざたになっている国ならいざ知らず、あたしの生まれ育った国で生命の危機に瀕することはまず起こりえない。そもそも道を歩いてるだけでってどこの映画の世界なんだ。
「なら詩帆ちゃんの世界は平和なんだよ。そしてこの世界はそんなに優しくない」
 あたしの心情を見透かしたかのように続けて言う。あの時、先輩やカリンくんに出会わなければあたしはずっと霧の中でさまよい続けていただろう。霧海(ムカイ)で再会して、先輩はそれこそ怪我をおっていた。生きてきた中で一番の大怪我が包丁で指をきってしまったレベルのあたしにとって、日本という国は、世界は。彼の言うように本当に平和なところなんだろう。ぐうの音も出ないとはこのことだ。
 くったくのない笑顔に突き放した言い方。心なしか祖国でごくごく普通に暮らしてきたあたしのことを責めているようにさえ思えてくる。前々から思ってたけど、人なつっこい顔をして先輩は優しくない。
「人の生まれ故郷をそんな悪者みたいに言わないでよね」
 やりこめられてしまったあたしの代わりに柳眉をあげたのはリズさんだった。
「優しくないだなんてあんまりじゃない。わたし達が生まれ育った世界なんだからね」
「だってなんにも見えないんだもの。気づいたら辺り真っ白で身動きとれないし、変な獣だって出てくるしさぁ」
 少しも悪びれることなく応じる先輩。それにしても異世界にたどり着いた時の彼の感想はあたしと一緒だったのか。ちょっとだけほっとした。
「それは運が悪かっただけ。わたしがちゃんと手当してあげたでしょ」
「でもさぁ」
「霧があるから僕達はこうして歩けるんですよ」
 なおも言いつのろう先輩をさえぎって意外な発言をしたのはカリンくんだった。
「詩帆さんはこの霧のことは知ってますか」
「確か冰(ヒョウ)って言うんですよね」
 先輩から聞いた。霧の正式名称かつ正体だって。空に浮いている大きな氷のかたまり。普通はとけて終わりだけど、大きすぎるから完全にはとけきれなくて、それが地上に落ちてきて。水蒸気になって陽の光に照らされて光る霧のできあがりだって。
 カリンくんの補足説明によるとこうだ。この霧。一般的なそれと同じくたいへん視界がよろしくない。周りが見えないから相手も動くに動けず立ち往生。もちろんそんなの平気で襲いかかってくる獣もいるけど要は霧のおかげで獣、リズさん達いうところの『海獣(カイジュウ)』との遭遇率が少なくなってるんだそうだ。もちろん、こっちまで身動きがとれなかったら意味がないって話にもなるけど。カリンくん達、霧海(ムカイ)の住人はそのあたりのことは慣れっこらしい。
 じゃあ霧海(ムカイ)の方々はどうやって冰(ヒョウ)に対応してるのかというと、先ほど利用した天昇台(てんしょうだい)の天気予報を利用するんだそうだ。とどのつまりは雨がふるらしいから傘を持っていく、降水確率の低い時間帯に地上に出歩くってこと。あの透明巨大エレベーター、なかなかあなどれない。
「それはそうと、先輩はどうやって戦うんですか」
 それはそれ、これはこれとして。当初の戦う云々の話にもどって尋ねてみると、後でのおたのしみとの返事が返ってきた。語尾にはーとまーくつきで。
「大丈夫。そのへんもわたしが何とかしてあげるから」
「前に同じこと言って、とんでもないことになりませんでしたか」
 軽くにらむと自称叔母さんはそんなことないよと笑っている。笑顔の真意はともかくとして、まずは地上にあるリドックという場所を目指すことになった。
「地図とかないんですか?」
 リズさんと先輩からもらった携帯電話のストラップをつけているおかげで視界は良好とまではいかないものの、それなりに見えるようにはなった。でも自分が今現在どこにいるかまではわかるはずもなく。知らない場所を進むためには初歩的だけど地図が必要。コンパスがあるとなおよし。声をかけるとカリンさんが差し出してくれた。方角は絵柄で何となくわかるとして、問題はところどころに書いてある文字だ。
「これ、なんて読むんですか」
 英語でもフランス語でもなく。例えるなら、みみずが三回転半くらい歌って踊ってるような絵、もとい、文字だ。
「うみことば」
 またわけのわからない単語が出てきた。なんでも霧海(ムカイ)独自の言語だとか。さらに言えば水の里発祥の言葉らしい。とは言われても、地球生まれで地球育ちのあたしにはわかるはずもなく。霧海の皆様方に教えていただくこととなった。
「ここがいまいる場所で、リドックって場所がここ」
 二つの場所を指さされる。
「森みたいに見えますけど」
「見えるじゃなくて、まんま森さ」
 今いる場所から目的地の間を塞いでいるのは大きな森。しかも、そこそこ広く思える。
「回り道をするってことは――」
「してもいいけど、かなりやっかいなことになるよ」
 水の次は森ですか。そんなわけで自称修学旅行の三日目はちょっとしたどころか本格的なレジャーになった。
 戦うという動作ができなくて、一介の女子高生にすぎないあたし。レジャーといってもあたしが今までやってきたことと言えば、それこそ学校での本当の修学旅行や小学校の夏休みキャンプだ。そんな中、あたしができることといえば。
「皿洗いですか」
 消去法でいけば自然とそうなるだろう。体力も普通、死地を生き抜くようなサバイバル能力もあるはずもなく、かといって現地の食材を使ったバーベキュー料理、なんて芸当もできなくて。ちなみに今朝の食事はカリンくんが作ってくれた。前のタマゴサンドの時といい、彼の料理と手際のよさには本当に感心する。
 それにしても。
「カリンくんまで手伝わなくてもよかったのに」
 隣でお皿を拭いてくれている長身の男の人に視線を向ける。あたしよりも頭一つ以上高い背丈。翠玉の瞳が優しげにこちらを見つめている――わけではなく。今はお皿を磨き上げるのに精をだしてるようだ。
「女性一人に苦労をさせるわけにはいきませんから」
 リズさん達も手伝ってくれればいいでしょうにとつぶやくカリンくんに曖昧に笑みを返す。実は、手伝うとは二人とも言ってくれた。でも何もできないのもシャクに障ったので自分でできることは自分でやりますと丁重にことわった。仕方ないなぁという表情の後、じゃあ別のこと準備しとくねとリズさんはさっさといなくなってしまった。何の準備なのか非常に気になるところではある。先輩のほうは『僕は散歩してくるから詩帆ちゃんがんばってねー』と手をひらひらさせながら、こちらもどこかに行ってしまった。まったくもって先輩らしき言動だ。先輩は人なつっこくはあるけれど決してフェミニストってわけじゃない。むしろ、あたしに対してはそこはかとない悪意を感じることだってあるし。
目の前の男子をぜひとも見習ってほしい。
「カリンくんは戦うことってできるんですか?」
 同じくお皿を拭きながら、ものはついでと尋ねてみる。
「どういう行動をもって戦うというのかはわかりませんが。ずっとこの世界で生きてきましたから」
 優しげな表情からはそんなことをしてきたとは到底思えない。それとも謙遜(けんそん)してるのかしら。
「ですが、自分の身を守れるくらいにはなっておいた方がいいですね」
「……そんなに危険な場所なんですか?」
 先輩ならいざ知らず、この人にまで言われるとさすがに不安になってくる。
「先ほどもリズさんが言ってましたよね。海獣(カイジュウ)と呼ばれるものがいると」
「でも霧があるから大丈夫だって」
「ある程度は、ですけど」
 それから先は察して下さいというふうに曖昧な笑みを浮かべる。つまりはある程度は安全でもある程度は危険だってことか。
「異世界って大変なんですね」
 何度言ったかわからない台詞を口にすると、頭の上に手を置かれた。
「でも、僕の故郷でもありますから。少しずつ慣れていってくれると嬉しいです」
 翠玉の瞳が優しくゆれている。前に『どう見てもシホさんは僕達よりもずっと年下です』ってとんでもない台詞をさらりと吐かれた。だからこれも、年の離れた妹を諭しているようなものなんだろう。たぶん。
 それでも、あたしにとっては全然免疫のないことで。
「あたし、ちょっと水くんできます!」
 制止の声はあえて無視してその場を後にした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「異世界には危険がつきものかぁ」
 水をくんだついでにため息ひとつ。男子に免疫がないわけではないけれど、そういうことはほとんどなく。高木詩帆、悲しいかな生まれてこのかた十六年と少し、一度も異性と付き合ったことがない。加えるならキスすらしたことがない。
 この前、先輩には毛布越しに頭に触れられた。あの時だって気が気じゃなかったのにさっきの仕打ち。学校だったらまずあり得ない光景だ。そもそも学校では委員長だったあたし。委員長ってことは時にいらぬことまで口を挟まないといけないからやっかみを受けることも多々ある。ましてやお世辞にも気が弱いとか大人しいといった部類には絶対入らないあたし。男子にはさぞかしやっかいな存在だったんだろうな。
「少しは女らしくするべきなのかしら」
 そんな時だった。
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