佐藤さん家の日常

学校編 その6

三月十四日

「相談がある」
 そう言ったのは三月を少し過ぎた頃。
『……は?』
 その場にいた同級生たちは、全員唖然とした顔をしていた。
「だから、その」
 口でうまく言えないのがもどかしい。こういう時、春がうらやましい。あいつならいとも簡単に聞きだせるのだろう。
 でもここにはあいつはいない。いたとしても、あいつにそんなことは聞けない。聞けるはずもない。
 咳払いをすると、同じ質問を2−Bの教室にいた同級生たちに話した。
「……女子がもらって喜ぶ物って何?」
 今度は全員、誰も言葉を発しなかった。
 なんとも形容しがたい静寂が教室を包む。
「佐藤、お前大丈夫か?」
 しばらくたった後。おそるおそる――そう形容した方がいいだろう――といった感じの声が聞こえる。
「悪い。今の忘れて」
 本当にどうかしていた。
 そもそも、クラスメートに聞くこと自体おかしい。それほど親しくもないのに、こんなことを聞くことが間違っていた。
 女子がもらって喜ぶ物。要するに二月十四日のお返しのこと。
 チョコレートをもらった奴が一ヵ月後にお返しをすることくらい俺だってわかっている。でも、もらってしまったのだから仕方ない。
 今までならチョコレートをもらうことなんてなかった。正確には机やロッカーの中に入っていたものは全部春のものにぶちこんでた。でも今回だけはなぜか受け取ってしまった。
 でもこれじゃあ――
 本当に恥ずかしいことをした。
 きびすを返し家に帰ろうとしたその時。
「まてまて。質問の返事も聞かずに帰る気?」
 そう言ってきたのは、さっき一番に声をかけてきた男子だった。
 朽木伊知郎(くちきいちろう)。俺と同じ2−Bの生徒で美術部に所属している――それくらいのことしか知らない。
 朽木の他に教室に残っていたのは二人。
 一人は山吹彰祐(やまぶきしょうすけ)。俺よりも小柄で眼鏡をかけていて、文芸部に所属。朽木とは仲がいい。
 最後の一人は神屋敷絢緒(かみやしきあやお)。変わった苗字と同世代の女子にしては派手な化粧が目だってたからなんとなく覚えていた。
 でも本当にそれだけ。同じクラスになったとは言え、会話を交わしたのは少しだけ。神屋敷にいたってはほぼ皆無に等しい。
「一瞬兄ちゃんのほうかと思った。でもお前、メガネかけてるから弟だよな」
「ここは俺の教室だ」
「やっぱ弟だ」
 憮然とした顔で言うと、朽木はそう言って笑った。やはりこういうのは春の分類だ。
「女子がもらって喜ぶものねぇー。ショウお前は?」
「は!?」
 急に話題をふられた山吹は目を白黒させていた。
「質問されたのはイチだろ。どうしてボクが答えなきゃならないんだ」
「友達の質問は答えてあげるのが世の情け」
「意味わからないし」
 そう言ってはしゃいでいる二人が少しだけ羨ましく見えた。
 高校に入って二年。それなりに話はしているも、せいぜい、春の友人や知り合いと言葉を交わす程度。目の前の二人のような親友はきっといない。
 少しだけ、今まで過ごしてきた二年近くに空しいものを覚えた。
「女子がもらって喜ぶ物だったら女子に聞くのが一番じゃないの?」
 確かに一理ある。
 視線を山吹から神屋敷に移すと、携帯をいじっていた手を止めた。
「え。アヤ?」
「佐藤弟が女の子の貴重な意見を聞きたいんだと」
 指を刺すな。俺の名前は佐藤弟じゃない。
 口に出さずに朽木と神屋敷を見ると、神屋敷は人差し指を唇に当てて言った。
「アヤは好きな人からもらえる物なら、なんだっていいけど?」
「……そういうもの?」
「知らない。自分で考えれば?」
 そう言うと、再び携帯を手に取る。神屋敷との初めての会話はこれで終わった。
「神屋敷の言うことも一理あるよな。自分で考えるのが一番じゃねぇの?」
「そうそう。人の意見も大事だけど結局決めるのは自分だし」
 そういうものなのか。
 結局、参考になったのかならなかったのかわからない。
「その……」
 でも相談にのってくれたのは事実だ。
「つきあわせて悪かった。ありがとう」
 頭を下げると、感謝の言葉を告げる。だが何の反応も返ってこない。
 不思議に思って頭を上げると。
「何」
 訂正。反応はあった。
 朽木は目を見開き、山吹は慌てて眼鏡をかけなおし、神屋敷にいたっては携帯を床に落としていた。
 ……俺はそんなにおかしいことをしているのか?
 再びなんとも形容しがたい沈黙が流れようとしたその時。
「ちゃんと言えるじゃん」
 朽木は顔をほころばせて笑った。
「何が」
「お礼。佐藤って案外普通の奴だったんだな」
「どんな奴だと思ってたんだ」
「たぶん無愛想な奴だと思われてる。兄貴と正反対」
 なぜか山吹まで口をはさんできた。
「俺は夏樹だ! 春樹じゃない!」
「そこまで目くじらたてて怒らなくても」
「佐藤って実は自己主張激しかったんだな」
「…………!」
 こういうのは苦手だ。
「あーっ! 佐藤、顔赤い!」
「貴重な瞬間だ」
「携帯、携帯!」
 本当、苦手だ。
 でも同じ教室で席を並べていた奴らのことがわかるのも、もしかしたら面白いのかもしれない。


「これ」
「……え」
 そして当日。
「この前のお礼です」
「えーと。その」
 渡された人物は目を泳がせている。そんなに俺がお返しをするのがおかしいんだろうか。
 渡した物はマフラー。三月とは言え今年は寒い。実用的なものがきっと無難だろう。
 ……本当に、これでよかったのか?
「サンキュ。ありがとう」
「……いえ」
 でも、こんな笑顔を見れるなら。
 それに、あんなふうに騒げるのなら。
 ホワイトデーも悪くないのかもしれない。

 三月十四日。
 それは、俺にとって試練の日。
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