ティル・ナ・ノーグの片隅で

アール・エドレッドの場合

その一。始まりは道ばたで

 アール・エドレッドは悩んでいた。

 そもそも自分は旅行記を書くためにここ、ティル・ナ・ノーグへやってきたはずだ。旅行記といっても一般的なそれではない。誰もが目を留めるような、読んだ者がすぐにでも書かれた地を訪れたくなるような世界一面白いものを。
 途中、志なかばで空腹に倒れ友人に窮地を救われ結果、彼の者の家に居候することになったというエピソードもあるがそこはご愛敬だ。以来、友人宅を拠点としてティル・ナ・ノーグで起こるさまざまな出来事を記事にしたためるべく右往左往の日々だ。

 だから、このような事態はまったくもって想像していなかった。

「返事がない。まるで屍のようだ」
 目前に転がる物体にそうつぶやいて、とりあえず持っていた剣の先でつついてみる。
 つん。
 つんつん。
 ぴくりとも動かない。やはり屍のようだ。
 目前に、地にひれ伏して倒れているのは藍色の髪の人間。うつぶせに倒れているため顔はわからないが、体格からみるに自分と同じくらいの男だろう。少なくとも外見上は。
「おい、起きろよ」
 試しに声をかけてみても、再び剣でつついてみても反応はまったくない。
 つんつん。
 つんつんつん。
「まいったな」
 ここは騎士団にでも通報すべきか、それとも見て見ぬふりをすればいいのか。そもそも死体なら墓地や寺院にでも直接運ぶべきか。アールがそんなことを考えていると、屍だと思われた物体はむくりと起き上がった。
「うわあっ!」
 まさか生きているとは思わなかった。予想外の事態に思わず声をあげて飛び退く。一方で屍かと思われていた男は焦点のあってない紫の瞳を周囲にやって、やがてアールの藍色の瞳をとらえる。 
「み……」
「み?」
 男と男が見つめあうという奇妙な状況ができあがったあと。
「水ください。できれば海のもので」
 そう言って男はぱたりと倒れた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 そういえば友人に聞いたことがある。店を開けようと外に出たら『腹減った』と見ず知らずの奴に足を捕まれたと。放って逃げようものなら末代までしつこく呪われ続けるようなただならぬ雰囲気で、見るに見かねて手を差し伸べてしまった、と。
 もしかしなくてもそれは自分のことなんだろう。そしてその時の友人は、きっとこんな状況だったんだろう。
「いやー。一時はどうなるかと思った」
 テーブルに並べられた料理を一心不乱に食べつくす男を見ながら、アールはそんなことを考えた。
「大げさだろ」
「本当本当。目的地にいくはずが途中で迷っちゃって。やっぱりあれだなあ。海から離れるとどうも調子が悪くなるみたいだ」
 いや、そもそもここ(ティル・ナ・ノーグ)自体が海そのものだし。
 つっこみを入れたかったが男が聞いていなさそうだったのでやめた。そもそもここで反論すれば目の前の料理がなくなりそうな気がする。
『水をください。できれば海水で』
 半信半疑で港までひきずって――もとい、肩をかして。桶でも借りて海水をくみ出すべきかと思案していると、バランスをくずし勢い余って海に落ちてしまった。
 気を失っている人間が海中に沈めばどうなるか。慌てて海中から引きずり出してもどってきて。さすがに人工呼吸をする気にはなれず、なりゆきを見守っていると男は目を覚ます。余談だが、気づいた時の第一声は『あれ? 君、誰?』だった。
「まだ残ってるよ。さめないうちに早く食べなよ」
 今日はふんだりけったりだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。助けてくれたお礼ということで港の近くにあった飲食店『海竜亭』で食事をごちそうしてもらうことになり、現在にいたる。
 気になることは多々あるものの、男が言うようにこのままでは皿の料理が冷えてしまう。考えるのは後回しとばかりにアールは空腹を満たすことに専念した。
「これ美味いよな。どうやって作ってるんだろ」
 『イノシシ肉のスペアリブ』と称された料理を口に含みながらつぶやくと目の前の男は大いに賛同の意をあらわした。
「だろ? ここの店の料理って初めはかなり躊躇したんだけど、実際口に入れたらすごくおいしかったんだ。
 考えてみれば魚だって小魚を食べて生きてるんだ。ここで食べてあげなかったらそれこそ同胞達の死が犠牲になってしまう。でもそうなると共食いってことになるのかなぁ」
 違和感を感じながらもうまいうまいとフォークを動かすのは藍色の髪の男。背丈はアールとほぼ同じくらいで年の頃なら彼とほぼ同じ、もしくは年かさといったところか。髪や耳には真珠を連ねたような飾りがありこの地域には珍しい服装をしている。波の模様が描かれた青の外套に同系色のズボン。上から下まで同じ色でまとめられていた。表題をつけるとすれば、さしずめ『青い男』といったところだろう。
 服装もさることながら椅子に置かれた同色の布袋も奇異なものだった。行き倒れには荷が重いだろうと親切心で持とうとすればずっしり重い――どころの話ではない。
 持てなかった。成人男子の力をしてもうんともすんともいわない。引きずろうとすれば中から奇妙な音がして慌てて手放した。一体なんなんだ、これ。
 男が気がついてから尋ねようとしたが、男の紫の瞳は目の前の皿をたいらげることに夢中になっていてそれどころではなさそうだ。つい数ヶ月前、自分も同じ事をやってしまった――今となっては居候のきっかけになった――のでここは黙って見守っておく。途中、店の看板娘と思われる赤茶色の髪の店員に『本当にお腹が空いてたみたいですね』と笑われたのを流しつつ、アールは辛抱強く待った。
 待ちに待って。ようやく水を喉に流し終えたところで男は口を開く。
「オレはリザ。リザ・ルシオーラ」
「俺はアール・エドレッド」
 人なつっこい笑みにつられて自らも名乗りをあげる。
「助けてくれてありがとう。君は命の恩人だよ」
 感極まったといった体で両腕をつかみ、ぶんぶんと上下にふる。実際は危ないところを引きずって海へつきおとすというとどめ行為を担った張本人になるかもしれないのだが。そんな内面はおくびもださずアールは笑って応じる。広いこの世界、知らぬが仏という格言もあるのだ。 
「たくさん食べてくれ。今日はオレのおごりだ」
 しかもずいぶんはぶりがいい。悪人には見えないが浮世離れしてる感がぬぐえないのもまた事実で。おそらく世間慣れしていないいいとこ育ちの坊ちゃんといったところか。
 そのことも含めて詮索したかったが男に負けず劣らず空腹だったこともあって、赤髪の青年は遠慮なく運ばれた皿をたいらげていく。
「それにしても、なんであんなとこで倒れてたんだ?」
 疑問を口にするとリザはふと視線を遠くへやる。
「探し物をしてたんだ」
 先刻までとはうって変わったような寂しげな表情。これはなにかいけないことを聞いてしまったのだろうか。
「その探し物とやらは見つかったのか?」
「見つからなかったからこうして迷ってのたれ死ぬ一歩手前になったんじゃないか。知らないかな。――って場所にあるらしいけど」
 確かに。 
 というよりも、普通の人間は簡単に迷ったあげくのたれ死ぬこともないだろうが。
 というよりも、普通の人間はそんなところに近づこうともしないはずだが。
「そういう君は何をしてたんだい?」
 そんな思考はリザの声によって閉ざされた。質問を返されアールはこれまでのいきさつを素直に話す。故郷にいた頃、ティル・ナ・ノーグからやってきた商人から旅行記を買い取ったこと。本に書かれていた未知なる世界に感動して、自分もいつか人を感動させるような旅行記を書きたいという思いを胸にアガートラム王国の外、名もなき農村からやってきたこと。
 感動させる記事を書くには感動させるようなネタを仕入れることからはじまる。だからこうしてティル・ナ・ノーグをくまなく歩き回っていたところでリザと遭遇したこと。
「『誰も知らない世界の見聞を伝える』か。いいね。それ」
「とはいっても、まだかけだしもいいとこだけどな」
 腕試しにと何度か広報誌に持ち込んだこともある。だがほとんどが門前払い、よくて小遣い程度の稼ぎにしかなってない。肩をすくめて応えると、そんなことはないとなぜか力一杯りきまれた。
「世界は光と希望に満ちているんだ。それを君が伝えなくて誰が伝えるんだ!」
 まさか初対面の人間に賛同はおろか力説までされるとはおもってもみなかった。
「君が外へ飛び出したように、今度は君の書いた旅行記が新たな冒険のきっかけになるかもしれないんだ。それって素敵なことじゃないか?」
「だよな!」
 つられてついその気にまでなってしまった。ただし、その反対もしかりだけどねという後半のつぶやきは耳を介しなかった。世界一の旅行記を書きたいとは思っていたものの、そこまでの考えは持ち合わせてなかったのだ。自分の書いた旅行記が人の心を動かす。それはどんなに心おどることだろう。
「そういえば、あんたはどこから来たんだ?」
「最近だと白花(シラハナ)かな。こことはまた違った雰囲気の場所だよ。行ったことがないなら一度たずねてみることをおすすめするよ」
「じゃあ、あんたはシラハナからはるばるティル・ナ・ノーグへやってきて、探し物の途中で生きだおれたってわけか」
 人のことは言えた義理じゃないが、それなりの事情があったのだろう。そう考えて話しかけると単に道に迷っただけとのあっけらかんとした返答。
「なぜか目的地にたどりつけないんだ。はじめは誰かが邪魔してるのかなって考えたけどそうでもなさそうだし。
 ここ(ティル・ナ・ノーグ)を探していろんな場所をさ迷ってたんだ。西へ東へあてのない一人旅ってところかな。たどり着いたときの感動といったらもう、言葉では言いあらわせないくらいだよ」
 ティル・ナ・ノーグに様々な逸話がはびこっているのは知っている。だが探し当てる場所でもさ迷う場所でもなかったはずだが。
「なんてね。本当はここへ来る勇気がなかっただけかな」
 さっきまでの表情が嘘だったかのように寂しげな表情を見せる。だが一瞬にして『食べないともったいない』と皿に顔を近づける。
「それで、たどり着いた感想は?」
 見ていて飽きないとはこういう奴のことをいうんだろうか。何気なく聞いてみると男の紫の瞳が揺らいだ。
「……とても、綺麗な場所。全てが輝いて見える」
 できれば二人で見たかった。そんなつぶやきはアールの耳に届くことはなく。しばらくは二人、黙々と食事をたいらげることとなる。
「ごちそうさま。かえって悪かったな」
 二人でこれでもかというほど料理を食べつくして。握手をかわし帰り支度をはじめたのは日もくれた頃だった。
 帰路につこうとしたアールはふとふりかえる。
「俺、書きかけの記事があるんだ。今度持ってくるから感想聞かせてくれよ!」
 ついでにいいネタあったら教えてくれ。明るく告げると藍色の髪の男は二つ返事でうなずいた。
「わかった。今度会えたら考えとくよ」
「約束だからな!」
「……また、あえたらね」

 こうして、この一件は幕を閉じた――はずだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 数日後。
 アール・エドレッドは海竜亭を訪れていた。もちろん約束を果たすためである。
 記事は以前広報誌にのったものと書きかけのものが一つずつ。だからどうした。書物は読み手の意見があってこそより完成度を増していくのだ。何度も繰り返して書いていくうちに完成に近づくだろう。
 先日知り合った男は海竜亭に詳しいようだった。だったらここに顔を出していればそのうち姿をあらわすだろう、そうふんでのことだったが。
「こねぇんだよな」
 店の中で一番安いメニューを頼みつつ、辺りを見回す。全身青ずくめの男。特徴がわかっているから容易に見つかると思っていたが男の姿はいっこうに見えない。
「なあ、ここ最近青ずくめの男って見なかった?」
 店員に尋ねると、そんな人は知らないという返事。やはり、ここ数日は姿を現してないのだろうか。
「あんたも見ただろ? 『本当にお腹が空いてたみたいですね』って笑ってたじゃないか」
 顔なじみになりつつあったアニータという自分と同じ年頃の女性店員に尋ねると、真面目な顔で返ってきた。
「そんな人、一度も見たことありませんけど」
「またまた。そんな冗談は――」
「見たことも会ったこともありません」
 冗談を言っている素振りには見えない。しばらくすると『強いて言えば、大きななにかを感じたような……気のせいだったかしら』という声が加わったがそれでも男を覚えていないことには変わりない。
 この店にいた人間にとっては正真正銘、あの男の存在はここにはなかった――記憶から抹消されているのだ。

『世界は光と希望に満ちているんだ。それを君が伝えなくて誰が伝えるんだ!』

 表情をくるくると変えて、人なつっこそうに笑いかけてきた青ずくめの男。店員が見ていないというのなら、彼は一体なんだというのだろう。

『ティル・ナ・ノーグの唄』に参加させてもらいました。

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