ティル・ナ・ノーグの片隅で

暁に魚が奏でる唄は

その二。魚がヒトになるときは

 ――あなたは何か目的があってここ(ティル・ナ・ノーグ)へきたんじゃありませんの? 忘れたくても忘れられない何かがあるのかしら――

 答えは半分だけ本当だった。

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 まずは首領(ボス)の話をするべきなんだろうね。結局のところ海にかかわる一族全てがあの豪傑(ごうけつ)なしには語れないから。ああ、地上だと長(おさ)って呼び方になるのか。じゃあ海の世界の長ってことで。
 一言で表すなら『海』そのもの。すべてが大きいかつ豪快、もしくは剛の者と呼ぶべきか。二対八の割合で時に穏やかで時に荒々しいというか。上機嫌で歌なんか歌わせようものなら全ての海の民が聴覚を遮断しないと大惨事になることうけあいだし『あの方に歌を歌わせるな』って格言ができたとかできないとか。だから宴の時は人間にはぜひ極上の酒を献上してくださいとお願いするというか。
 いろんないわれはあるけれどオレに言わせればただの頑固親父だよ。『俺が法律だ。文句あるか』を地でいっちゃうから。実際ものすごく有能で顔が広いから大抵のやつらは口を出さないんだけど。でも強気な言動を憎々しく思っている奴らも確実にいるんだ。そういう奴らにはどうするかって? 周りが対応するんだ。何しろ全てを任せたら恐ろしくて眠れやしないからね。というか、もう少し穏便にすませてくれればいいのに。ニーヴおばさんの爪の垢でも煎じて飲ませたいよ。尻ぬぐいさせられるオレ達の身にもなってみろ! いい年なんだから少しは丸くなりやがれ!
 ああ、ごめん。今の忘れて。つい興奮しちゃったよ。今度あの方に会ったらオレ何しでかすかわかならいかも。その時は頼むよシリヤ。
 とにかく彼にはたくさんの奥さんというか子どもたちがいて。……まあ、その。そういう方面にも豪快なんだ。気になる女性がいたら片っ端から口説きまくって、そのうちぽこぽこ子どもが産まれる。
 残された女性はどうなるかって? 大半が愛想尽かして実家に帰ってくよ。子どもは相手側に残してね。仕方ないんじゃないかな。相手が相手だから。子どもにとってはそれほど不利益なことじゃないしね。海には海のルールがあるんだ。
 子どもは寂しくないのかって? 全然。母親役ならちゃんとそういう存在の方がいたから。オレの場合は実母は知らないけど同腹の妹がいるし。
 言ってなかったっけ? 妹がいるんだ。
 リズっていって可愛いんだよ。目の中に入れても痛くない――って、これじゃあ子どもか。とにかく可愛い。本当に可愛い妹なんだ。小さい頃からオレが育ててきたんだ。品がいいというか、どこに出しても恥ずかしくないというか。海の世界でも一、二を争うくらいの可愛さじゃないかな。
 そんなに可愛いなら嫁にやる時どうするかって? やらねェよ。やるわけないだろ。あの子が嫁にいくのはオレやあの方が認めた奴だけだ。オレ達が認めてかつ一年間の交換日記を続けられた奴じゃなきゃ交際も認めないね。海精(ワダツミ)の女の子は数が少ないんだ。野郎ならありあまるくらいいるのに。
 妹じゃなくてオレの話だったっけ。話を元にもどそう。
 オレの場合、曲がりなりにもあの首領の息子だから。それ相応の地位というか能力というか仕事を任されていた。
 と言えば格好いいけど、とどのつまりは父親のしりぬぐい。『父親がいつもお世話になってます』って時には頭を下げたり時には『こうして頭下げてるだろ。いい加減そっちもおれやがれ!』って殴り込みにいったり。
 ……何? その視線は。変なこと言ってるかなぁ。人間の感覚とは多少違うかもね。
 何? 多少じゃないって? いいだろ別に。人間じゃないんだから。
 とにかく。子ども達は尻ぬぐいという名目の抗争に巻き込まれていったんだ。抗争って何だって? 早い話が縄張り争いさ。自分の領土『シマ』をめぐって互いが矛を交えるんだ。時にはタイマンをはり時には血まみれになって。時には――やめとこう。耳が汚れるようなことは話すべきじゃない。
 そんな縄張り争いのさなか、一匹の魚が大きな傷をおった。
 どんなやつでも経験をつまなきゃ成長できない。当時の魚はてんでひよっこで擬態の術すらままならなかった。海の民にはある程度の自己再生能力があるから放っとけば自然に治るんだけど、それでも限界がある。
 傷を負った海精(ワダツミ)の行く末は泡になって消えるか理性を失ってただの獣に、君達のいうところの『怪物(モンスター)』に成りはてるか。中には人間との縄張り争いをやった奴らもいるらしいよ。海のシマなら駄目でも陸のシマならどうにかなると思ったんじゃないかな。愚かにもほどがある。
 そう。悲しいことだけど海の民は人間を、陸の民を軽視していることが多い。自分たちのほうが人間よりも先に生まれたって自負があるんだろうね。オレ自身も前々から言い聞かされていたんだ。『ヒトは高度な知恵を持ちながら愚かであさましい生き物だ。だから決して近づいてはならない』って。オレから言わせたら、なんでそんなことになるのかさっぱりわからなかったよ。確かに自分達とは違う種族だし風貌や考え方だって違うかもしれない。けれども頭ごなしに相手を否定していたら何も始まらないじゃないか。
 そこらへんの話はおいとくとして。体を治すことも形式を整えることもままならず本来の姿のままで海中を漂っていた。そのうち意識もなくなってきて、ああ、オレはここで死ぬんだなあってぼんやり思ったよ。オレは海精(ワダツミ)なんだ。下等な怪物に成りはてるよりも潔く海の泡となって消えてしまおう。そう覚悟もしていた。
 でも幸いなことに泡になることはなかった。

 
 そのかわりといってはなんだけど。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(「!? !!? ?!」)
 意識を取り戻したと同時に獣の爪が襲いかかってきた。
(「殺される!?」)
 襲いかかってきた凶悪な獣。当時のオレは力を失って小さくなっていた。それはもう、人間の手のひらにおさまるくらいの大きさにね。海精(ワダツミ)は強大な術や能力を扱うことができるけど、それと引き替えに本性に近づいていくんだ。本性っていうのは文字通り。生まれながらの性質。本来の性質、生来の姿のことさ。だから、こうして君達の目の前にある姿はヒトを模倣した姿、擬態なんだ。
 じゃあオレの本性は何だって? 本性は本性としか言いようがない。強いて言えば海に漂う魚かな。とにかく当時のオレは弱っていて、本性自体も小さくなりはてていたんだ。
「メル。おさかなさんをたべちゃだめ!」
 襲いかかってきた凶悪な獣がメルという名前の猫だとわかったのはしばらくしてからのこと。
「あなた。もうちょっとでしぬところだったのよ?」
 気がつくと、オレは水槽の中にいた。
「うみべにきずだらけのおさかながうちあげられているんだもん。びっくりしちゃった」
 目の前には小さな女の子。緋色の髪を服と同じ白いリボンで結わえて。勝ち気そうな青の瞳をきらきらさせて。擬態はとれなくても人の言葉、陸言葉(りくことば)は理解できた。周囲から勉強させられていたからね。抗争をやる際に役立つからって。
(「君が助けてくれたの?」)
 そう聞きたかったけど本性のままだったから口をぱくぱく動かすことしかできなかった。こういう時、身動きがとれないってのは辛いよ。海では重力もないし気温も一定を保っているから慣れると案外楽なんだ。それに比べて陸の世界の変わりようといったら。重力はあるし言葉や文化も多種多様でめまぐるしいったらありゃしない。
 とはいえ意思疎通ができなきゃ話が進まない。だから口を開く代わりに彼女の目をじっと見つめることにした。
 水槽ごしに見つめ合って時間が流れて。女の子が小首をかしげた。
「どうしてここにいるのかしりたいのかな?」
 少し違うけど間違ってもいなかったから首を上下にふった。
「うみべであなたをみつけたの。きずだらけだったから、わたしがおとうさまにたのんでつれてきたの」
 これでとりあえずの経緯は把握できた。じゃあ目の前の彼女は誰なんだ?
(「オレはリザ。君の名前は?」)
 もちろん人間と魚の会話が成立するはずもなく。それでもじっと見つめるしか手立てはなくて。
「わたしのなまえ、きいてるのかな?」
 言葉は通じなくても言いたいことは伝わったのか。水槽に近づくと彼女は服のはしをつまんでこう言った。
「はじめまして。わたし、テティス」
 それが彼女との――人間の友人との初めての出会いだった。

 彼女にはたくさんの侍女がいた。教育係に礼儀作法。時には護身術まで覚えさせられていたよ。人間も大変なんだなあってつくづく思ったもんだ。
 時々、彼女の父親らしき人間も来ていた。でも言葉を交わすのは日に数回だけ。オレのことも珍しそうに眺めてたけどさすがに口を開いてくれることはなかった。ヒトがヒトでないものに話しかけるって端からみれば危うい行為だろうしね。時々冷たい目をしていた。何かを値踏みするような、別のものに捕らわれているというか。親子であるはずなのにテティスとは似ていても似つかないというか。それでも負傷して小さくなっていた海精のオレを助けてくれたんだ。根はいい人間に違いないと思うことにした。当時はね。
 オレから話しかけることができない代わりに彼女はたくさんの話をしてくれたよ。母親は生まれてすぐなくなってしまったとか父親は忙しくてなかなか会うことができないとか。
 寂しかったんだろうね。彼女はオレに始終色々な話をしてくれたよ。家庭教師が口うるさいとか、木登りをしようとしたら慌てて周りに止められたとか。彼女は裕福な家の家庭だったらしい。そうだよね。幼いながらも整った身なり、きれいな模様の描かれた水槽。当時の家では珍しかったんじゃないかな。
 後で気づいたことだけど、テティスには付き従う者はいても同年代の友人はいなかった。広い部屋で一人きりで。水槽にむかっていつも話しかけてたよ。『あなたとおはなしできたらいいのに』って。そして、話しかけるたびに周りからは奇異な目で見られていた。はじめは子どもの戯言と思われていても何度も同じことを繰り返せば異様な言動にとられることはいなめないから。
「はやくこえをきかせてね。わたしのかわいいおさかなさん」
 それでも水槽ごしに、彼女は語りかけてくれた。嬉しかったこと、楽しかったこと。
 オレはヒトの話を理解することはできる。けど魚の口から出るのは魚の言葉――海言葉(うみことば)でしかない。今は本性のままでもちゃんと話せるよ? 練習したからね。
 受けた恩は二倍にして返せっていうのが海の民の掟なんだ。彼女の要望に応えてあげたい。傷は完全には癒えてなかったけど、オレは彼女の願いを叶えることにした。

 人間と会話をするには彼女と同じヒトになるしかない。
 魚がヒトになる方法。実はそこまで難しいことじゃない。海精の体に流れる一滴の青い血、あとリーラ(月の妖精)の力を借りればヒトになる手段『転成の儀』が完成する。もっとも百年の月日をながらえばもっと簡単に人化の術が得られるだろうけど。ただし長期にわたって人の姿を保つには相応の魔力と精神力、時間が必要になってくる。言ってる意味がわかるかな。短時間での変化はできても長時間の変化は難しいってこと。オレの場合、当時はまだ生まれて百年にも満たないひよっこだったから順序を踏まえたうえで儀式を完成させるしかない。
 
 夜も更けて間もすっかり寝静まった頃。彼女の部屋の水槽の中、オレは月の光が当たるように体を移動させた。
 血は自分のものを流せばいいから簡単にとることができた。本来、月には魔力が備わっている。月に備わる魔力は魅了と幻覚。月の光をと十の月と十日浴びて、新月の夜に誓いをたてる。
(「吾が血をもってリーラに捧ぐ」)
 新月は名前のごとく新しいことが始まる時。
 海精の血は妖精の――アヤカシの血。
(「仮初めの躯(からだ)を吾に与えたまえ」)
 水槽が光に包まれ消えていく。

 月の魔力とアヤカシの血が重なるとき、転成の儀は完成される――

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「おにいちゃん、だれ?」
 彼女はひどく驚いた顔をしていた。そりゃそうだよね。目の前にいきなりヒトが現れたんだ。驚かないはずがない。
 水槽で泳いでいたはずの魚はもういない。代わりに顕れたのは魚と同じ藍色の髪に紫の目をした人間の少年。
 背丈は一般的な男性のものより少し低い。傷が治ってなかったから本来の完全体の姿はとれなかったんだ。
 服装は彼女達や父親が身につけているものをまねした。この容姿自体が人間の模倣なんだ。装飾の真似事くらいなんでもない。
 そう、人間。そこにいたのは魚ではなく、ヒトの姿を形どったもの。
「おにいちゃんは君に命を救ってもらった魚だよ」


 これが初めてヒトの姿を成しえた瞬間だった。

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