ティル・ナ・ノーグの片隅で

伊織(イオリ)の手紙 ― 海辺のとある一日より ―

その3.海辺にまつわるえとせとら

 一人読書にふける兄をよそに兄弟達はボール遊びを始めた。はじめは少しだけだったけど一人増え二人増えて。
「おねえちゃんできた!」
 近くにいた子ども達が砂でできたお城を指さす。
「すごいね。みんなで作ったの?」
「うんっ!」
 無邪気に笑う子ども達がまぶしい。目を細めているとオレも! あたしもと子ども達に手をひっぱられる。だから海を目前にして砂遊びをすることになってしまった。
 ……まあ、いいか。
 本当はみんなのいないところで泳いでこようかと思ってたけど。子ども達をおいていくわけにはいかないし砂浜遊びに専念しよう。そもそもここはティル・ナ・ノーグ。白花(シラハナ)と違って季節を気にする必要もないんだし。
「大盛況だね」
 聞き慣れた声にふりむくとコップを二つ手にしたリオさんがいた。
「先生達はいいんですか?」
「成り行きを見守ってたんだけどね。まだまだ続きそうだったから」
 詳しく聞いてみると、元々運動神経のいいユリシーズは砂浜の上でも健在で。ソハヤさんの打ち上げたボールをいとも簡単に打ち返し勝負はユリシーズの独壇場になるところだった。でも藤の湯の店主だって負けるわけにはいかない。攻防戦が続く中、勝負をもっと面白くしようというイレーネ先生の提案でソハヤさん、パティ、トモエさんという藤の湯メンバー対ユリシーズの三体一形式に変更された。さすがに不利だろとぼやくピンクベージュの髪の男に『だったらトモエと一日デートをする権利を与えてやろう』とこれまたイレーネ先生の無茶ぶりにも違い提案。したがってビーチバレーは継続中。
「先生も海を満喫してるみたいだね」
 話から察するにまだまだ砂上の決闘はまだ終わることはなさそうだ。
「もしトモエさんがデートすることになったらどうするんですか」
「三対一ならさすがに負けないでしょ。いざとなったら先生がなんとかするよ」
 子ども達から少し離れた場所に移動して。コップに入ったジュースを受け取りながら二人休憩をとる。
「イオリちゃんって子どもに好かれるんだね」
 ジュースを飲みながらそんなことないですよと苦笑する。シラハナでの家族構成はわたしとお父さん、お母さん、ばあちゃんの四人。兄弟はいなかったけど近所に子ども達がたくさんいたから遊び相手に困ることはなかった。だから子どもの接し方はなんとなくわかる。
 今は工房を手伝うようになったからニナちゃんやウィルくんと話をするようになったし。今回もその影響なのかな。そう伝えるとそれも一つの才能だよと感心された。
「リオさんは泳がないんですか?」
 わたしと同じく水着の上に上着をはおったままの格好の彼に声をかけると泳ぎは得意じゃないからと肩をすくめられた。
 リオ・シャルデニー。わたしより少し背が高く見ようによっては同世代の男子に間違われそうな容貌をしているけどれっきとした成人男性だ。
「俺としては海中にいるよりもこうして人間チェックをしておいた方が有意義」
 そう言って薄い緑色の瞳を周囲にめぐらせる。聞こえ方によっては怪しい物言いだけどリオさんの場合は少し違う。そもそも初めてあった時の第一声が『いい体つきしてるよね』だったし。変質者かと警戒してしまったけど実際は『骨格と筋肉とのバランスがとれた、将来の有望株』という意味だったらしい。ほめ言葉みたいだけどわたしにとってはちっとも嬉しくない。
「むこうの彼はもう少し運動した方がいいね。バランスが悪すぎる」
 彼はわたしと同じくグラツィア施療院につとめる整体師だ。
「そっちの彼女はやせすぎ。女の子ってどうしてこうやせようと思うのかなあ。成長期にちゃんと食べておかないと成長できないよ」
 普段はおじいちゃんやおばあちゃんの腰や関節の痛みを和らげるのがお仕事だけど時には不慮の事故でなくしてしまった腕や脚を作ったりと医師のイレーネ先生とは違った分野のスペシャリストだ。実際に仕事風景を目にした時はこんな関わりかたもあるんだって感動さえおぼえた。
「あと五年もしたらりっぱな骨格ができあがるのに。もったいないよなあ。これじゃあ宝の持ち腐れだ」
 爽やかな風貌から七十五度くらいかけはなれた物言い。心なしか言葉の使い方が若干間違っているような気もする。黙っていれば爽やか好青年のはずなのに、なんだかリオさんの方がもったいないよなあ。手渡されたジュースをすすりながらぼんやりとそんなことを考えていると。
「……ん?」
 自称・人間観察をしていたリオさんが首をかしげる。ジュースを飲むのをやめて彼の方をのぞきみるとリオさんは不思議そうな顔をしてつぶやいた。
「あそこに見えるのって何だと思う?」
 リオさんにならって視線を砂浜から海に移動させる。海には水遊びを楽しむカップル、その奥には流れる浮き輪。そしてその先には……
「浮き輪?」
 普通は泳げない人や子どもが海遊びをするときに使うものだ。だから当然子ども、もしくは持ち主がそばにいないとおかしい。
 海に浮かぶのは小さな浮き輪が一つ。じゃあ、浮き輪の持ち主は一体どこへ?
「…………!」
 嫌な予感がして子ども達の元にもどる。
「イオリちゃんどうしたの?」
 まだ砂遊びをしていたニナちゃんに半ば詰め寄る形で問いかける。
「ニナちゃん、さっきここにいた子ども達ってみんないるかな」
「うーん、どうかな。数えてみるね」
 ふりかえって人数を確かめる。一人、二人、三人。
「しー、ごー、ろく……七人?」
「七人?」
 わたしの声にニナちゃんがうなずく。子ども達は全員で八人だったはず。じゃあ、残りの一人はどこへ?
「オレ見たよ。女の子が一人浮き輪持って海に入っていった」
 そばにいたウィルくんがぽつりとつぶやく。
「ピンクの水着と髪飾りしてた。名前は確かシャーリィ――」
 全てを聞き終える前に体が動いていた。
「ニナちゃん達は親御さんを捜してきて。わたしは海を見てくる!」
 思い過ごしならそれにこしたことはない。でも最悪の事態になっていたとしたら? そう考えるといてもたってもられなくなった。
「ユータ、ニナちゃん達に協力して」
 子ども達のそばのテントで相変わらずデッサンをしていた相方に声をかける。何があったんだといぶかしげな表情をする彼に短く告げた。
「お願い。緊急事態なの!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 アルテニカ兄弟には親御さんの捜索をお願いした。子ども達と接する時間が長かった分、わたし一人で捜すよりも早くすむだろう。本当ならユータにも頼みたかったけどニナちゃん達や他の子ども達のことも心配だったからそっちを優先させた。
「波が高いな。もうすぐ満ち潮になる」
 浮き輪の見えた海岸はさっきの砂浜から離れたところにあって足場が悪く、転ばないように歩くのが精一杯。そんな中をわたしとリオさんは慎重に移動する。
 今は日はまだ高い。でも時間がたてば引き潮から満ち潮に変わって今よりもずっとずっと捜しにくくなる。
 改めて海に視線をうつす。さっきは200マイスくらいの距離だったのに今ではもっと遠くに浮き輪が見える。浮き輪を見つけてそれほど時間はたってない。
 けれど、浮き輪が流されただけならまだしも持ち主が側にいたら?
 あまつさえ――
「わっ!」
「イオリちゃん!?」
 途中で足首に痛みを感じてしゃがみこむ。急ぐあまりに足をすべらせてしまったみたいだ。
「はやる気持ちはわかるけど、まずは冷静にならないと」
 苦笑するリオさんの肩をかりて立ちあがる。右足首がずきずきするけど歩けないほどじゃない。
 浮き輪が誰かの忘れ物で持ち主は家に帰りましたというのなら、心配は杞憂に終わる。でも、もしものことがあったら。
「泳ぎの得意な奴を呼んできたほうがいいな。俺は先生達を呼んでくる。イオリちゃんはここで見張ってて」
 そう言うとリオさんは海岸を後にした。
 彼が言うことはもっともだ。でも不安がなかなかぬぐえない。どうしてだろう、いつもはもう少し落ち着いていられるのに。 
 目をつぶって深呼吸をする。息を吸って、吐いて。こうしてると少しだけ気分も落ち着いた気がする。おちつくんだ、わたし。こんな時に取り乱したら救えるものも救えない。
 もうそろそろいいだろうと目を開けた時。
「!」
 浮き輪から少し離れたところ。そこには手足をばたつかせ必死に浮き輪をつかもうとしている――子ども。

 嫌な予感は的中した。
 
 ピンクの水着に同じ色のリボンをした女の子。ウィルくんから聞いた特徴と全て一致している。
 迷ってる暇はなかった。上着を脱いで海に飛び込む。準備体操くらいしておけばよかった。でも場合が場合なんだ。今いかなきゃ後で絶対後悔する。
 泳ぎはお父さんから教わっていたから人並みにはできる。けど子どもとはいえ人を抱えて長距離を泳いだことは皆無。はたして今のわたしにできるんだろうか。
 そんなことを考える余裕もなくて。まずは浮き輪を捕まえることに専念する。幸いすんなりと浮き輪の端をつかむことに成功した。
「もう大丈夫だから」
 子どもに近づいて声をかける。でも子どもはパニック状態で手をのばすと泣きながらしがみついてきた。
「すぐに帰れるからね。浮き輪につかまってくれるかな」
 怖かったのはわかるけど、しがみつかれたままだと身動きがとれない。諭すように言い聞かせても子どもは興奮冷めやらぬ状態で、なかなか言うことをきいてくれない。まずはこの状況をなんとかしないと。
 捕まえた浮き輪を子どもの体に通して。流されないように浮き輪の端をつかみながら泳ぐ。
「よくがんばったね。お姉ちゃんと一緒に帰ろう……?」
 途中で足首に違和感を覚えて泳ぎをとめる。止まっていれば平気なのに、泳ごうとすると再び鈍い痛みがおそってくる。もしかしなくても、さっきひねった時のものだ。よりによってこんな時に!
「大丈夫。大丈夫だから」
 泣きごとはいってられない。安心させるために笑顔を作って岸に向かって泳ぐ。
 距離が進むに比例して足首の痛みもひどくなる。浮き輪をつかんでいた手もだんだんしびれてきた。だからどうした。そんなことはいってられない。泣きごとを言う前に少しでも早くこの子を助けないと。
 ふと子どもの泣き声がしなくなったことに気づいてふりかえる。シャーリィは浮き輪から再び離れていた。長い間海に流されていたんだ。ましてや相手は子ども、いつ体力がなくなってもおかしくはない。
「シャーリィちゃん!」
 浮き輪を離して再び子どもに近づく。残りの力で子どもを抱き上げて、浮かび上がって泳ぎをすすめて。
 でもわたしの体力のほうが限界だった。


 お願いリール様。わたしはどうなってもいいからシャーリィちゃんの命だけは助けてください。


 視界の隅で誰かが叫んでいるような姿を認めた後、意識を闇に手放した。

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