清森昇のとある一日
拝啓、母さん。そっちはどうですか? 元気にしていますか?
オレはそれなりに元気にやってます。色々なことが起こりすぎてはいるけど。
忍耐力と回復力、適応能力の高さがオレの売りです。ちょっとやそっとのことでめげてなんかいられません。
だけど、ちょっとやそっとのことじゃなかったら、少しぐらいめげてもいいですよね。
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朝日が差し込んできたある日の朝六時。
オレは、とある人の腕の中にいた。
「…………」
えーと。
この状況は、一体どう説明したらいいんでしょうか。
「おはよー。昇」
目の前にある、そんじょそこらでは拝めないような綺麗な顔立ちの人は誰なんでしょうか。
いや、わかってます。わかります。これくらい見た目が強烈だと忘れようにも忘れられませんから。
漆黒の大きな瞳に同じ色の髪。オレより長めに切りそろえられてあるそれは、手を添えれば簡単にすりぬけてしまいそうだ。
「昇ー?」
紅をぬったように真っ赤な唇が言葉を紡ぐ。この顔立ちで、この仕草。大抵の奴は堕ちるんだろう。もしかしたら、オレも例外じゃないのかもしれない。
ふいに、視線がぶつかる。漆黒の瞳とただの黒目。ぶつかったらどうなるかってことくらいオレでもわかる。前者の持ち主は、にっこり微笑むと顔を近づけてきた。
って、おい。これって……
「…………」
「見事に固まってるね」
背後から前にいる奴と似たような声が聞こえる。振り返らなくてもわかる。きっとその人もこいつと同じ表情をしているんだろう。
固まらないでいられないでか。
目が覚めたら目前に男の顔があって、あまつさえそいつの――
「うわあああああああーーっ!」
清森家の一日は、こうして幕を開けた。
母さん、人生って本当になんでもありですね。
生まれてこのかた十数年、色々なことがありました。特に高校生になってからがすごかったです。異世界ワープなんでいう、地球人にはあるまじき行為までしてしまいました。女装なんてものもさせられました。あまつさえ命を狙われる、そいつらと同じ学校に通うという所業までしでかしました。そして、
「男にキスされるとは思わなかった……」
自分で言って身震いする。いや、急所はちゃんとそれたけど。根性でそらしたけど。
清森昇。高校一年。今日はとある事情で苗字が変わってます。おまけに言うと、とある家の三男坊になってます。いや、事情っていってもたいしたことじゃないし、タイトル見りゃわかるけど。
「よっ……と」
フライパンに油をしき、切った野菜を炒める。野菜は生よりも炒めた方がたくさん量がとれるし栄養も取りやすいって教科書にのってた。
仮にもこっちの苗字を名乗るのならそれなりのことはしないといけない。現在長女は嫁いでいるから不在らしい。というわけで、オレにできることをそれなりにやってるわけだ。
「何作ってるの?」
声をかけてきたのは長男の大地。別名、大兄ちゃん。
「野菜炒め。ありあわせだけと大丈夫だった?」
「作ってもらってるんだもん。文句は言えないよ。でも昇が作るんだから美味しいんでしょ?」
「普通だと思うけど」
「それ終わったら玉子焼きも作って。明日のお弁当に入れるから」
「わかった……ん?」
さらりと流れた会話に菜ばしを止める。
母さん。どうしてオレは、ここにきてまで家事をしているんでしょうか。
料理が終わったら掃除をして洗濯。布団も干したしゴミも出してきた。
「……だから、なんでオレここで家事やってんだよ」
「そういう性分じゃないの?」
「そうそう。昇っていつでもお嫁に行けそうだし」
嬉しくない。本気で嬉しくない。
背後から聞こえてくる二重和音に盛大なため息をつく。
「けどさ、またこうしてここに来られてよかった」
買い物袋を片手に大きくのびをする。神在山(かみありやま)は榊町とはかけ離れた場所にある。けどこうやって気軽に遊びに行けるのは、とある部屋と二人の人柄のおかげだ。
「まりいとはその後どう?」
オレの手から買い物袋を取り上げたのは勇気。兄貴でもあり、朝とんでもないことをしてくれた人でもある。
「うまくやってる」
姉弟としてだけど。
「他は?」
「他はって?」
首をかしげると、二人につめよられた。もう一度首をかしげると、今度は兄貴に盛大なため息をつかれ、兄ちゃんには苦笑された。
「兄ちゃんとしてあえて言おう。もっと交流を深めなさい」
「勇気のようにとは言わないけど。いつまでも失恋を引きずるのもどうかと思うよ」
兄弟の言葉は時に優しく、時に情け容赦なく肺腑をえぐります。
親しき仲にも礼儀あり。今度会うまでにはこんな台詞を言われないように彼女が……いたらいいなと思います。
「ふーっ、生きかえる……」
午後九時。
夕方の料理も洗い物もすませ、湯船につかる。
この何ともいえない心地よさ。肉体労働をした奴にしかわかるまい。たとえジジくさいと言われても知ったこっちゃない。それだけ苦労してるんだ。文句なんか言われてたまるか。
「ん?」
窓越しには人影。そーいや一緒に風呂入ろうって天と空ちゃんにせがまれてたっけ。
兄弟が多いってのは単純にいいと思う。そりゃケンカとかもするかもしれないけど、大勢のほうがにぎやかで楽しいし。
ここは三男として四男と三女の面倒を見てやるべきだ。
「いーよ。入って」
湯船から半ば身をのりだして呼びかけて。
ガラガラガラ。
「あ」
けど入ってきたのは四男でも三男でもなく、兄貴そっくりで性別の全く違う――次女だった。
「…………」
時間にして数十秒。
「うっわああああああああああああああっ!」
清森家に、本日二度目の悲鳴が響きわたった。
母さん、さっきの言葉は訂正します。兄弟はそこそこの数に、刺激もそこそこにしておいた方がいいと思います。
それから、神在山の皆さんごめんなさい。騒がしいのは清森家にとってはいつものことです。決してオレ一人のせいではありません。
おかしい。おかしいだろ。
狙っても普通できないだろ、こんなこと。
「しかもなんで逆なんだよ」
誰にともなくつぶやき、居間に寝そべる。
まさかこの歳でのぞかれるとは思ってもみなかった。いや、こっちも見たけど。
「…………」
うつぶせになってみる。
……すごかったよな。まさかこの歳でおがめるとは思わなかった。標準がどれくらいか知らないけど、あれは絶対それをはるかに上回ってるはず。って――
「…………」
なんだろう。この背中にあたる感触は。
「昇。そこあたしの席」
「み、み、み……」
「み?」
「美月ちゃん、当たってる! 当たってるから!」
「何が?」
「何がって――」
これ、もしかしてわかっててやってる? ひょっとしなくても遊ばれてる!?
全国の男子高校生の皆様、オレはこの後どうすればいいんでしょうか。オレ、これでも男です。このままでいられたら理性が保ちません。
「ちょうどいいや。昇、このままでいて。クッションにちょうどいい」
「オレ、物ですか!?」
「いいじゃん別に。減るもんじゃないし」
確かにそーいう問題じゃないけど。むしろオレとしては嬉しい状況だけど。いや、いくらおいしくてもこれじゃオレの心臓がもたないんですけど。そこらへんわかってますか、美月ちゃん。
「とにかく一度どいて――」
「どかんか美月!」
危機を救ってくれたのは次男坊。強引に二人を引き離すその姿は一瞬だけ凛々しかったし助かった。色々な意味で。ちょっとだけ残念にも思った。色々な意味で。
けど、この後すさまじいまでの兄弟ケンカを見せつけられ仲裁に入ろうとしたオレは『昇はひっこんでろ』と返り討ちにあった。
母さん。世の中って本当に理不尽なことばかりです。どうして避難のために来た場所で、余計体力を使い果たさないといけないんでしょうか。
「それは災難だったね」
午後十一時。ようやく長い一日が終りをむかえる。ちなみに大地の視線の先はオレの右頬――勇気と美月ちゃんにつけられたひっかき傷――に向けられている。
「全然かけらも思ってないだろ」
「あはは。ばれた?」
ジト目でにらむと大地は悪びれることなく笑った。
「で、どーしてオレはこんな状況にいるんでしょーか」
右隣には勇気、左隣には大地。それは朝と全く変わらぬ光景だった。
「いいじゃん。大勢の方が楽しくて」
「いや、夏だし暑苦しいし」
「細かいことは気にしちゃダメよ」
「じゃあ今朝の一件も細かいことに入るんでしょーか」
「ああ、あれね」
勇気は一度考えるようなそぶりを見せた後、オレの右頬に手を添えた。相変わらずの綺麗な瞳。その黒水晶に見つめられたら、誰もが吸い込まれてしまうんだろう。
見つめあうこと十数秒。
「お望みなら何度だってしてあげるけど?」
「するなっ!」
全力で否定すると笑いながら手を離す。添えられた右頬には絆創膏がはられていた。
「はいはい、そこまで」
『勇気も悪ふざけがすぎるよ』大地が言うと、勇気は『ちぇー』と口をとがらせた。
「だって昇可愛いもん。ちゅーしたいもん」
「昇だって逃げないんだから、しようと思えばいつでもできるでしょ」
いや、その返答も大いに間違ってます。
……けど。
「あのさ」
面とむかって言うのは照れくさいから、布団の中にもぐりながら言う。
「ありがとう。オレを弟だと言ってくれて」
こんなオレを受け入れてくれて。
「オレ、二人に迷惑かけてばっかだよな」
いつだって、非力でカッコ悪くて。
ううん、カッコ悪くたっていいんだ。しっかりしなきゃいけないのに。強く――全てを見据えられるくらい、乗り越えられるくらい強くならなきゃいけないのに。
けど、怖い。
怖いんだ。全てを知ったら、きっと何かが変わる。オレがオレでなくなる。
本当ならこんなこと一人で考えなきゃいけないのに――そんなこと、許されるはずがないのに。どうしてオレはここに来てしまったんだろう。どうして、わがままばかり願ってしまうんだろう。
けど、耐えられなかった。わがままを願った結果がどうなるかってことくらい、充分身にしみているはずなのに。
「これからもわがまま言うかもしれないけど……」
続きを言おうとした矢先、
「そういうのはワガママとは言わないの」
「弟は黙ってお兄ちゃんに甘えてればいいの」
撫でてくれた二人の手は、とても大きくて温かかった。
「……うん」
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母さん。兄弟はやっぱりいいものだと思います。
高校生になって、オレにはたくさんの兄弟ができました。助けたり、助けられたりしてバカやって。だけど、オレにとっては本当にかけがえのない人達です。
今度は皆であの場所に行きます。母さんも喜んでくれますよね?