Part,42
『つばさを持つえいゆう?』
『そう。それがこれから捜す手がかりなんだ』
『えいゆうってすごいんだよね。なんでもできるんでしょ?』
『そうだな。だからあいつはここからいなくなった。きっと優しすぎたんだな』
『……?』
『都会はきっと合わなかったんだな。父さんと一緒さ』
『ちがう! お父さんはそんなんじゃない!』
『わかってる。だから父さんもこうしていられるんだ。お前やお姉ちゃん、母さんがいるからな』
『……すぐ帰ってくる?』
『わからない』
『なんでそんなこと、お父さんがしなきゃいけないんだ! そんなこと、王さまがすればいいじゃないか!』
『あいつもやれることなら自分でやってるさ。でもな、偉くなれば偉くなるほど偉い人は身動きがとれなくなるんだ。だから友達の父さんに頼んだんだ』
『……ぼく、大きくなったら運び屋になる。お父さんの仕事を手つだう』
『それは楽しみだな。それまで母さんとお姉ちゃんを頼むぞ』
『うん!』
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少年はまぶたを開けた。朝と呼ぶにはまだ早く、隣では青藍(セイラン)が寝息をたてている。
(忘れたはずだったのに)
夢をみたのは昨日、壁画を見たからか。あの会話は本当に他愛もないやりとりだった。にもかかわらず取り乱してしまったのはなぜか。
「確かにまだまだ子供だよな」
誰にともなくショウはつぶやき苦笑した。
「ごめん!」
顔を合わせるなり頭を下げられ、まりいは戸惑ってしまった。
「ショウから聞いたんだ。君の家族のこと」
ああ、それでなのか。まりいは一人納得した。
「両親のことを捜してるのにあんなこと言って不謹慎だったよな。本当にごめん」
まりいには両親がいない。正確には物心ついた頃に施設の前に置き去りにされ、何もわからないと泣いていたそうだが実際のところは定かではない。その後、施設から義母のつかさにひきとられ、夢の中の声に導かれるかのように空都(クート)にやってきた。
ショウにはレイノアで全てを話していた。目の前の青年にも同じことを話したのだろうか。
「大丈夫。気にしてません」
「気を遣わなくていいよ」
「使ってません」
まりいがそう言うと、青藍は上目遣いにつぶやいた。
「だってまた丁寧語じゃないか」
まるで子供のような口調。実際まりいが彼に敬語を使っていたのは事実だった。
「本当に怒っても気を遣ってもいませんから。青藍だって悪気があって言ったわけじゃないんでしょ?」
「それはそうだけど……」
再び口を開こうとして首を横にふると、青藍はまりいに向かって言った。
「だったら普通に話してくれないか? あいつとかぶって仕方ない」
『あいつ』とは誰のことだろう。そう思うも、まりいは彼の提案にのることにした。このままでは埒(らち)があかない。
「怒ってないよ。青藍」
努めて普段の口調で言うと、青年は嬉しそうに笑った。
「やっと普通に話してくれた」
それは他愛のないやりとりだった。だが、まりいにとってそれはただごとではなかった。
「シーナちゃん?」
まただ。本当にどうしたんだろう。こんなことショウの時だってなかったのに。
「顔赤いな。大丈夫?」
「大丈夫……」
本当は大丈夫じゃないのかもしれない。だがそう思ったところで目の前の青年には言えるはずもなく。
「熱はないよなー」
心底心配そうに自分の掌をまりいの額にあてる。
それが彼女の限界だった。
「大丈夫。熱なんかない!」
言葉とは反比例して顔が熱くなる。それは、同年代の男女なら誰もが持ち合わせる感情。同時にそれは、まりいにとって初めての感情だった。
このまま一緒にいるのはよくない。逃げ道を求め、やがて少年の姿を見つけると安心したように近づく。
「仲直りはすんだのか?」
自分の後ろに隠れた少女を横目にしながらショウは青年の方を見る。
「すんだと思うけど……」
だが口調とは裏腹に、事態が解決したようには見えない。ため息をつくと、ショウは青藍に目くばせした。
「セイ、悪いけど俺の荷物取ってきてくれないか?」
「じゃあ私が――」
「お前はいいから。セイ頼む」
まりいの言葉をさえぎり青年の黒い瞳を見据える。少年の言葉の意味に気づいたらしく、『わかった』と言うと、青藍は少年と少女のもとを離れた。
「シーナ」
青年の姿が消えたのを見届けると、今度は明るい茶色の瞳をショウは見据える。
「どうしたの?」
「……昨日のこと、あやまろうと思って。
怒鳴ったりして悪かった。セイも悪気があって言ったわけじゃないんだ。だから許してやってほしい」
「もういいよ。私があんなすごい人達とかかわりがあるなんて思えないし。それよりも――」
気にしていたのはショウの方だ。
次の言葉を紡ごうとして、まりいは口を閉ざした。昨日の一件には何かがある。でも聞いてはいけない。まりいにはそう感じられたのだ。
無言の時がしばし流れる。
「気になるんだろ? どうして怒鳴ったりしたのか」
「……うん」
沈黙を破ったのは少年の方だった。ショウの言葉に、まりいは静かにうなずく。
少年の言う通りだった。どうして一枚の壁画にあんなにも動揺していたのか。何故『英雄』という言葉にあんなにも反応していたのか。
「しばらく保留にしといてくれ。いつか必ず話すから」
そう言った少年の顔は寂しそうで。まるで見えない何かにじっと耐えているような。
「セイが待ってる。早く出よう」
ショウの言葉に、まりいは首を縦にふることしかできなかった。
三人で話し合った結果、昨日行った洞窟にもう一度行くことになった。ショウのことも気がかりだったがまりい自身興味があったのだ。
ショウがああ言った以上、この件には口を挟んではいけない。それよりも自分にできることをしなければ。
「シーナ」
名前を呼ばれ顔を上げる。そこにはいつもと変わらない表情のショウがいる。
「灯り。できるだろ?」
そこには少し前までの寂しげな表情はない。いつもと変わらない口調に安堵感を覚えながら、まりいは言葉を紡ぐ。
「光よ……」
まりいの掌から淡い光の球が生まれる。レイノアから後も練習をしていたからか、彼女も初級程度の術は扱えるようになっていた。
「シーナちゃんも術使えるんだな」
感心して言う青藍に、まりいはショウの後ろから小さくうなずいた。昨日の一件のわだかまりは消えたものの、別の一件に頭を悩ませることになったらしい。
「もう一つあった方がいいな。ショウできるか?」
青年が言うと、ショウはまりいと同じ言葉を紡ぐ。ほどなくして二つの光の球が洞窟を照らすこととなる。
「ちゃんと練習してたんだな。感心感心」
「ショウも使えるんだ」
青藍とまりいが思い思いの感想を述べると、少年は呆れたように言う。
「俺だって昔のままじゃないんだ。ちゃんとやってれば基本くらいできるようになる。
術を上達させるには練習あるのみってこと。この前だって運が良かったからうまくいったものの、本当ならあそこで死んでたかもしれないんだぞ?」
それは『この前』がレイノアにつく前のことだと暗に指していた。確かにあの時は無我夢中だった。一歩間違えればどんなことになっていたか。ショウの言葉にまりいは大きくうなずいた。
ほどなくして昨日の壁画の前にたどりつく。その先にあるのはやはり昨日と変わらぬ二つの道。
「どうする? 二つに別れるか?」
「その方がてっとりばやいな。おれはシーナちゃんと右にいくから左を頼む」
「わかった」
当たり前のように話を進める二人を、まりいは慌ててひきとめた。
「三人じゃだめなの?」
「駄目じゃないけど、効率悪いだろ。獣がいそうな気配はないし」
「でも、もしものことがあったら」
珍しく必死にくさがるまりいを見て、ショウは眉をひそめる。
先日の獣と遭遇した時とは違い、今はただの散策だ。しかも、セイの話では地元の人間ならよく訪れている場所らしい。いわば観光地巡りに等しいのだ。にもかかわらず、なぜそこまで三人にこだわるのか。
問いかけようと少女とその後ろの青年を見て――少年は一人納得した。
小さい頃から働いていたからか生まれもっての性質か。ショウは人の感情の機微には聡かった。青年を見る少女の顔。それと同じ表情をしていた人間をショウは知っていた。
『わたしの名前をだせばあの人は力になってくれるはず』
『いつまでも閉ざしたままじゃいけないでしょ?』
その人がどんな気持ちで自分達を送り出したかはわからない。だがそれは、彼女が前を向こうとしていることなのだろう。
どちらにしても、問題は当人同士で解決してもらうしかないよな。
胸中で独白すると、まりいに向かってショウは首を横にふった。
「ダメだ。二つに別れよう。それともお前、俺と一緒に行きたいのか?」
彼にしては茶目っ気を含めながらいたずらっぽく笑う。後は簡単だ。そのあとの少女の反応に言葉を返せばいいだけのこと。
「そんなんじゃ――」
そしてその反応はすぐに返ってきた。
「じゃあ決まりだな。俺は左に行く。後でこの場所に集まろう」
売り言葉に買い言葉。自分の思惑通りにのってしまった少女を、少年は面白そうに見ていた。もっとも、そんなにムキになって否定しなくてもいいだろと別のことも考えていたが。
こういうのは苦手だ。
背後の二人に手を振りながら、少年は右の道を進む。
「シーナちゃんよろしく。大船に乗ったつもりでいろよ」
一方まりいは、遠ざかる少年の後姿と目の前でにこにこと笑う青年の顔をただただ交互に見つめていた。